フランスで「アナと雪の女王」を観た日のこと

日本に先駆けること数か月前、2013年の12月上旬、私は一人自転車をこいでいました。自宅から自転車で行ける場所に小さな映画館があり、子どもが幼稚園に行っている間、朝の回の新作映画をたまに見るのが当時の私の最大の楽しみでした。フランス生活は見かけほど華やかなものではなく、経済的にも精神的にも時々苦しいものがあります。その中で、日本と比べると格段に安いのが映画料金。2Dならば5.5ユーロで鑑賞できてしまうと言うありがたさをかみしめながら、私はその日もいそいそとチケットを購入しました。

そして眼下に広がる、美しきディズニーの「北欧」世界に、頭を殴られたような衝撃を受けました。「アナと雪の女王」です。

原題「Frozen」は、フランス語では「La Reine des Neiges」(雪の女王)と、むしろアンデルセンの原作に沿った形のタイトルに変えられています。このタイトルから、私は原作を意識して鑑賞に臨んだのですが、本当に全く違うものになっていると感じました。これが改良なのか改悪なのかは、本当に観る人しだいだと思うのですが、私個人としては古きよきものにインスピレーションを採取し、そこから新しいものを創り上げていく…というスタイルが好きです。恐らくは全ての人間の伝統なども、そうやって「古いものに組み込まれて育っていく新しいもの」という形で成ってきたのではないでしょうか。そう言った意味では、ディズニーは「雪の女王」という古典作品に新しく芽をつけさせたと言えるでしょう。

内容として、主人公(だと思っています)エルサがいかにして『雪の女王』という存在になっていったのかが一番印象的なプロットでした。先天的に身に着いていた魔力を忌み嫌い、閉じこもっていたのが無理やり人を統治する責任を負わされる。両親が早世さえしていなければ、彼女は魔力を持ちながらも指導者として何とかやっていけることはできたと思うのです。ところがエルサは、コントロールの効かない自分自身と、そして自分が納めるべき王国の人々と闘いながら、孤軍奮闘しなければならなかったのです。

全てを凍結させる力を、夏季を冬季に変えてしまうほどの魔力を、感情に引きずられて全く統制できないエルサは、非常に危険であり儚くもあり、当人がいたって健気でまじめなだけに、本当に観ていて痛ましい、という気持ちでいっぱいになりました。

現代社会にさえ生まれてさえいれば、地球温暖化を差し止める究極のカリスマとして、全世界から支持されたのにもったいない…とも感じましたが。

そんな彼女が第一の『昇華』を遂げるLet It Goのシーンは、もう何もいう事はありません。素晴らしい、ただそれだけです。こんなに影を背負ったディズニーヒロインは他に見当たりませんが、だからこそこのシーンが最強に美しく感じられるのかもしれません。

やがて迎える第二の昇華、つまりは妹アナを救うべくエルサが起こした変化の部分ですが、これは恐らく多くの観衆が期待したハッピーエンドではあった…とは思いますが、私としてはLet It Go部分に比べておとなしいな、という感じでした。

ディズニー映画においても、王子様との愛が全てを解決する時代は終わったのであり、個々人が「本当に大事なものは何なのか、大切な人は誰なのかな」と自問していくことが求められるようになりました。これは「マレフィセント」にもこめられていたメッセージだと思います。それをどうとるかもまた人によって違いますが、私としてはこの新しいディズニーの問題提起を好意的に受け止めています。また、美術背景は文句なしに美しかったです。

翌年、子どもを連れて一時帰国した際。帰りのエールフランス機内、ふと気づいて顔を上げると、周囲の誰もが機内エンターテイメント装置で同じ映画を見ており、画面でオラフが躍っていました。それは3月14日、日本での「アナと雪の女王」公開日だったのです。受けるだろうなあ、とは思っていたものの、あれほどの旋風が起こるとは、私も全く予想はしていませんでした。